『頑張り』が評価される仕事観

 

Google先生で『仕事』と検索すると、SEO上位5つがすごいラインナップになっていて笑った。

 

「良い仕事」というのは「どれだけ頑張らずに、どれだけのものを生産できるか」だと思うんだけれど、

日本でいわれている「良い仕事」というのがほとんどの場合「どれだけ頑張ったか」になっているのが現状だと思う。

 

出勤が定刻ギリギリで、効率良く仕事を終え早めに帰るバイト仲間や同僚を『サボっている』と言ってしまう仕事観にも近いと。

とてもマズいなと思う。4年働いてみてすごく感じている。

 

 

今回はこの辺を掘り下げていきつつ、どうして日本人がこのように考えてしまうかを考察してみる。

そして、実際に「良い仕事」をするためやっていることを個人的な例を挙げながら、今後の仕事の在り方を纏めてみる。

 

 

『頑張り』が評価される仕事観

日本の根性論がもたらす副作用

最初の疑問,問題を言い換えると、日本人は同じ仕事量でも「より頑張ること」「より時間や労力をかけて必死に仕事をすること」が”良い仕事”とする価値観があるのだけれど、

本当はそうではなくて、「どれだけ頑張らずに、時間や労力にしろ余計なコストを支払わずにやるか」が大切で、それこそが良い仕事なんだと思うわけです。

 

たとえば10の仕事をするときに、コストを5でできた方が効率も良く、余計なコストを支払わずに仕事をこなしているから、こっちの方が賢い。

しかし日本社会はそううまくいかない。なぜなら日本人は昔ながらに根性論をもっていて、頑張ることを美徳とする文化があるから。

だから日本では「できるだけ頑張らなければ」評価されない。10の仕事に対しては9のコストをかけて「どうにかなんとか完成させる」方が評価される。

本来賢いはずの「できるだけコストをかけずに上手く仕事をする」ことを「サボり」とみなしてしまうのも良くない。この傾向は早く改善されるべき誤認だと思う。

 

 

時給制と仕事量

根性性を好む傾向に加えてもうひとつ、雇用形態が時給制であることもひとつの原因である。「時給制」は字の通り「働いた時間」に応じて給与が発生する仕組み。

言い換えれば「払ったコスト」に対して報酬が出ることを意味している。

 

こうなるとコスト(時間や労力)をかけた分だけ報酬が出るのだから、同じ仕事量10をこなすにしてもできるだけ時間をかけた方がいい、ということになってしまう。

そうやって無駄であるはずのものが「常識」「普通」になってしまっている。

 

ちょっと強調して言及するけれど、時給制は本当に良くない。これは自分の一生の「時間」を切り売りにも似ていて、趣味や家族や友人と過ごす「余裕」のある時間を犠牲にしている。

これが価値観として、そして共有することで文化となってしまうのは本当に良くない。

 

考察と実例

本当の意味での「良い仕事」をするためにはどんなことをしたら良いのか、経験値と実例から考えてみた。

誰でもできる普遍的な手法ではないけれど、こんな考え方を型を自分なりに取り入れてみてはどうだろうか。

 

時給ではなく仕事量で「稼ぐ」

仕事量で稼ぐというのは、「どれだけ労力をかけても、この仕事さえ完遂すれば報酬がもらえる」というもの。

だったら仕事の量に注目し、必要であればその質はどの程度で要求されているものかも明確化させておくといい。作業する側も依頼した側もその成果物に対して数値的な会話がてきる。

 

慣れていない人がこれをやるのは最初は難しくて苦しい。僕自身いま進行形でこれを実践している途中。だけれどこれがハマってくると気兼ねなく熱量を注げるし、さらにこれが好きな仕事であればあるほどモチベーションは上がる。

 

 

最小コストの最大成果

僕の大学時代の友人のお話を少し紹介。

彼は高校時代、壊滅的に勉強ができなかった。毎年愛知の実家に遊びに行き、ご両親からも直接聞いたから断言できる。

どれくらいできなかったと言うと国語や英語でよく耳にする名詞や動詞や形容詞といった品詞の存在を知らなかった。たぶん小中学校で習う内容だ。

大学在学中も授業中に寝たり、パチンコを打ちにいったり、夜中までスマブラをしたり、それはもう大学生の鏡だった。ちなみに僕もそれをやっていた。

しかし彼は現に国公立大学に入学し、1,500人前後在籍していた生徒の上位10名に入選、卒業後は愛知県の公立商業高校で教壇に立ち、陸上部の顧問として活躍している。

彼の行動原理はコストと成果のバランスを説明するのに最適な例だと思う。中でも試験前のアプローチが絶妙だった。

 

彼は試験当日の4,5日前までは基本的に何もしない。焦っている様子こそ周りにみせ同調はするが何もしない。

4,5日前になってようやく動きだす。ただそこもゼロから始めるわけではない。既に模範解答が作られている友人のノートをコピーするという当たり前のことはもちろん、協力的かつ成績優良なゼミ生徒に声をかけ、要点を説明し合うという環境を作っていた。

そしてその見返りに彼は食堂のランチや青森の塩っ辛いラーメンを奢ってくれる。その後またパチンコ屋さんに連れていかれる。

一度ここで彼のコストと成果を整理してみる。

【コスト】
・ランチ代(500円前後)
・ラーメン(780円,味玉トッピング)

【成果】
・良質な試験対策(説明上手な人にわかりやすく簡単に教えてもらえる)
・優秀な人達の傾向を習得できる環境
・仲間が増える
・賢くみえて女性陣にもてはやされる

 

最後のひとつは私情が挟んであるとして。笑 これだけみても費用対効果が絶大であることが良く分かる。

重要になってくるのは「いかに少ないコストで、いかに大きな成果をあげるか」この差が大きければ大きいほどいい。究極、コストが0に近ければ近いほど失敗することや損をすることは無いから。経済学の井原先生がそんなことを言っていた。

 

 

コストはかけるべき重要なところにしっかりかける

上で説明した彼の行動をもう少し深堀りすると、コストをかける場所を彼はよくわかっていた。

彼の趣味は他にもあり、なかでも陸上競技(中-長距離)に情熱を注いでいる。高校3年最後の総体では100分の1秒で負け7位。東海大会への切符に僅かに届かなかった。それくらい陸上はいまも本気でやっている。

大学時代も授業後や休みの日はランニングやトレーニングを続けていた。彼にとって陸上は時間をかけ積み重ねてきた実績であり、心の支えにもなっていた。

結果論になるが現在も陸上部の顧問として座学はもちろん、生徒と第一線で走り続けている。

 

教員になる、体調管理、モテる、色んな理由はあれど彼は陸上を続けることにコストをかけることを欠かさない。他の人が同じ個所にコストをかけているところを、彼はしっかり分散している。

全部で100あるコストを「試験対策50、日常生活50」ではなく、「試験20,陸上30,生活20,パチンコ30」という感じで割り振る。

やみくもにコストを支払うのではなく、自分には何が必要で、どんな報酬をこの先求めているかを理解したうえで適切にコストを支払っている。

 

この辺の見極めは僕ももっと上達しなくてはいけないところ。

同時にこれを多くの人に理解して、しかも実践してもらえるような情報発信と活動が必要。

これらを踏まえながら数を積むしかないので帰国するまでに淡々と練習する。

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ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中