お金の使い方を2つに分けて考えてみる
お届けするのは不定期シリーズ。
今回は「こういうお金の使い方いいな」と思う事例を挙げながら、お金の使い方について考えてみた。
大きく2つに分けて説明してみようと思う。
Contents
お金ってなんだろうか
お金というのは何かを得るための”手段”として世に出回っている。
好きなおもちゃを買ったり、お惣菜のコロッケを買ったり、パソコンやスマホを買ったり。
物的なものだけでなく、アトラクションの入場券、美容マッサージ、こうしたサービスを手に入れる際にもお金を支払う必要がある。
またお金のいいところは、何にでも使える、交換することのできる便利なもの、という点だ。
物々交換の文化が今なお続いている地域もあるが、現代その多くは貨幣主義に移行している。
お金を持っていれば、大体のサービスを享受することができる。
僕はそんなふうにお金というものを認識している。
使ったら戻ってこないお金
使ったら戻ってこないお金とはどういう意味だろうか。
例えば食費、家賃、通勤代、水道光熱費、通信代、僕からするとこれらはすべて戻ってこないお金だ。
言い換えれば、生活するうえで最低限必要になるコストと言える。
会社や企業でいうところの固定費に近い考え方だ。これらは生きていくうえで必要な出費、その多くは使ったら使いっぱなし。
ただ例外として、初めてのものを食べる、友人とご飯に行く、というケースはある。
つまりその消費の対象がより人と繋がりうるものでなければ、戻ってこないお金と認識してよい。
使ったら戻ってくるお金
戻ってこないお金は”人と繋がりうるものではない消費の仕方”と表現したので、その逆が戻ってくるお金の考え方だ。
つまり、人と繋がりうる、単発消費で終わらないお金の使い方、それが戻ってくるお金の使い方だ。
例えば飲み会、読書、旅行、イベント参加、趣味も内容によっては成り得る。
人と関わるものは大きく考えて戻ってくるお金の使い方と認識している。
なぜ戻ってくると表現できるのかというと、僕らが欲しているその多くは人との信頼関係に帰結する可能性が高いからだ。
初めに書いたように、僕らはお金を得ることが目的ではなく、手段としてお金を得ている。
もちろん家庭があり、養っていくためにお金が必要だという人もいるだろう。
しかし再度その目的を見返してみると、必ずしもその手段がお金である必要はない場合が多い。
信頼づくりにお金を使う
大学卒業までに一人当たり2,000万円かかるとよく耳にするが、それは家庭の自力で全部賄おうとするからである。
最近はSNSの普及で、映像授業で質の高い教育を受ける環境が整っている。
食事も地元山形でいえば、近所の方からのお裾分けや、菓子パンを譲ってくれるローカル店舗だって多い。
ただこうした策を実施するためには協力者が必要だ。
優良で安価な教材に関する情報を教えてくれる人、お裾分けや在庫を譲ってくれる人が必要だ。
そこで大切になるのが信頼や関係性づくりである。
だから人と関わりをつくる、経験やアイディアを共有できる、そうしたものにお金を使うことが大切なのだ。
最低限度の生活を確保する=使ったら戻ってこないお金を抑える
かと言って毎月使っているお金を極端に抑えられるわけではない。
そこで思いついたのは、普段使っている生活費を人と共有できる形で使うという方法だ。
一人でチェーン店で食べる、スーパーのお惣菜を買う、それもたまにはいいと思う。
ただそこで消費する食費を誰かと一緒に消費すれば、戻ってくるお金に変わり得る。
会ったこともない人とのご飯は嫌だけれど、友人やお話ししたい人とご飯を食べるのは別に苦ではない。
それにそこで何も得ないと考えたとしても、毎日消費しているご飯代金だと考えればそれで済む。
友人との1,000円ランチよりも500円で1人定食を食べたいという人もいるだろう。
しかし500円で自分の知らない情報や、その界隈に関する新鮮な情報を仕入れられると考えると、結構安いと思う。
実施するもしないも自由だけれど、こうしたお金の使い方をしている人はこれから楽しい人生になると僕は思う。
これも継続することが大切
最後に、これもよく書いていることだが、継続することが大事だ。
やってみたけど上手くいかない、何も変わらない、そういうケースももちろんあるだろう。
ただ自分に返ってくるだけの何かをみんなしているかといえば、そこまでではないと思う。
何か目標があり、また熱い想いがあり、それを継続し続けている人。そういう人にお金は集まるんだろうと思う。
そのきっかけになり得るのは信頼や人間関係であり、このきっかけづくりにお金を惜しみなく使っていくといい。
ケニアにいながらも、そうしたお金の使い方を実践している真っ最中。
2年後にできることを増やしておくべく、人と繋がり得るようなお金の使い方を心がける。
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