なぜ自身が”それ”をやっているか、他人がみて分かるようにすることが大切です

おはようございます。

今週はナイロビで農業普及支援の研修運営サポートをやってきます。

こちらにきてこうした活動は初めてです。
役に立ちそうな技術はどんどん持って帰ろうと思います。

6日間やり切ります。

 

なぜ自身が”それ”をやっているか、他人がみて分かるようにすることが大切です

 

 

相手目線が少し見えにくくなっている昨今

最近SNSの界隈でこういう人をよく目にする。

【●●PV達成! アフィリエイト●●万円! 長かったー!!…】

【フォロワー■■人達成!ありがとうございます! というわけで企画を…】

【再生回数が▲万回再生です! コツコツ頑張った甲斐がありました…】

 

僕は常々こうした投稿を目するうちに、こんな疑問をもってしまう。

この方々はいったい何がしたいのだろうか、と。

 

誤解のない様に次で深掘りするが、決してばかにするつもりではない。

単純にその行動原理、その意欲を支えるものが何なのか、それがわからないのだ。

 

 

相互フォロー,ブログ仲間,人脈づくり,etc…

僕はSNSやネット社会に疎いタイプだ。

アニメや漫画も目にするけれど、最先端のその界隈は追い付けないほど進化している。

聞いたこともないタイトルや、理解するのに一瞬時間がかかるような世界観を見せてくれるものもある。

 

そうした界隈がいい広がりを魅せているのは、新しいものや価値観がどんどん生まれているからである。

その良いきっかけになっているのがSNSであり、簡単に情報共有ができることに起因している。

好きなことを好きな人たちと一緒につくりあげている。とてもいい。

血液のように体内を日々循環し、ときには体内で病原菌と闘う熱と同じように、SNSでも意見が衝突し、炎上し、その先に新しいなにかができる、僕はそんな風に思う。

 

それを現代では相互フォロー、ブログ仲間、人脈づくりなどと称されているのかもしれない。

 

 

必然性がなければ人は動かない

これまでも似たような記事を書いたことがあった。

人を説得するにはいくつかの要素が必要で、その一つに”必然性”というものがある。

『なぜあなたが』『あなただからこそすべき理由はいったいなに』

そこを理論的に、分かりやすい表現で相手に伝えなければ、人の感情は動かない。

各界隈にはしっかりそれが好きで、一緒に共有し作品をつくるという光景が目に浮かぶ。というか作品としてそれだけ残っている。

 

僕が疑問をもっている理由は、ここが最近見えにくくなっているからだ。

多くの人が情報発信をするなかで、その人が『なぜ』それをしているのかが見えないのだ。

 

もちろん自分の承認欲求を満たすためにやっている人もいるだろう。

アフィリエイトやPVを稼いでアドセンス収入を図っている人ももちろんいる。

しかしどうしても、それを見るのが人である以上はその必然性はあるべきだ。

 

 

 

大事にしている人のことを毎日考える

僕は毎日活動を終えるとすぐにシャワーを浴びる。

移動手段は徒歩なのでほんとうに毎日疲れる。

 

スワヒリ語もある程度話せるようにはなってきたけれど、まだまだ聞き取りには労力を要する。

そんな疲れをシャワーでぜんぶ洗い流す。

そのあとこうしてパソコンに向かいキーボードをたたく。

起きた出来事や今後のことをあれこれ考え文字に起こす。

 

そのとき往々にして考えるのは、自分にとって大事な人の存在だ。

山形の家族、地元の友人、大学時代に知り合った友人、都内で出会った友人。

その人たちと過ごす時間がいつも楽しくて、そして今後も繋がりたいと思っている人々だ。

 

そこに必然性はできていて、ご縁というもので繋がった以上、もうそれ以上理由はいらない。

互いに楽しめる話をしながら、ご飯を食べ、目標について語り合う。

それが僕にとっての最高の幸せであり、そんな場所や空間をこれからつくりたいと思っている。

いまのところこの目標は揺らいでいない。

 

 

なにを想っていま生きているかを伝えられるようにする

僕の目標は書いた通り。

だからそれに向けて色んな情報を仕入れ、必要な技術やノウハウを身に着けている。

自分が大切だと思う人たちとこれからも関わり合える、楽しんで過ごせるような空間や働き方を体現したい。

 

ともすれば、ひょっとしたら最近目にする『●●達成』の界隈も、実は同じなのかもしれない。

あくまで明確な軸や目標があって、それを成し遂げるために行動している。

その経過、手段が目についているだけだと思えば少しだけ腑に落ちる。”手段”が表立っているだけかもしれない。

 

ただもう一度繰り返し強調するが、それでも理解はしがたい。

なぜならその多くはSNSという対面したことのない関係であって、その脆弱さがあるのも事実だと感じるからだ。

流れや肩書きというのはその時々で流されやすいものだし、考え方によっては試算表でいう『負債』にもなりえるものだ。

 

 

価値観は人それぞれあっていい。

別にいまは戦時中でもないし、表現の自由も保証されている。

各々が好きなように好きなことを満足いくまでやればいい。

それで本当に良い。

 

だが自由に活動できる一方で、必ず人に支えられながら生きていくのも事実。

そのときになぜ自分がそれをやっているのか、それを説明できるように工夫することは必要だ。

 

 

僕もまたその一人である

まあ僕自身、普通の生き方ではないから説明するのは難しい。

当然今までにない、モデルのない生き方をしているのだからそれは当然だ。

だからこそ試行錯誤しながらその表現と伝え方、そして目的達成に向けての準備を整えている。

 

大事なことは思考を止めずに、誰を想って、なんのために、いま行動し続けているのか。

そんな思考することを忘れず、そして続けることだと僕は思う。

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ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中