アメリカ史の歴史を残す地 コンコード

コンコードまでのアクセス

レッドライン(red line)でALEWIREという駅まで向かう。
降りたのち、コミューターレイル(Fitchburg線)に乗り換える。
所要時間は1時間弱ほど。

切符売り場は当時は窓口購入だった。
ひょっとしたらもう電子購入もできるのかな。

車内はこんな感じ。

座り心地もそれほど悪くない。

片道切符(One way)か往復切符(Round trip)か聞かれ、とりあえず僕は片道のみ購入。
これが後々とんでもないことになるのだが…。

CONCORDとしっかり駅名にも記載されているので降り過ごすことはない。
車内アナウンスもしてくれるので安心。

 

 

アメリカ独立戦争の発端の地

アメリカ独立戦争を語るときに必ず登場する名前がふたつある。
それがコンコード(concord)とレキシントン(Lexington)のことだ。

1775年から1783年までのあいだ、イギリス本国と英植民地化されていたアメリカ軍との戦争であった。
その契機となった場所がここコンコードである。

植民地化のもと労働を強いられる農民たちが声を上げ、オールドノース橋で銃撃戦を繰り広げたという。

 

両橋の手前にはそれぞれの軍で亡くなった戦死者のお墓が並んでいる。

 

それまで戦争や独立というイメージを考えたことのなかった僕にとっては、
恐らく初めて”感じた”戦争や植民地の跡地であった。

日本にいるころ教科書でこそ学ぶことは多かったが、実際にここで人が血を流し、どんな歴史背景があって、どんなことを想い馳せながら闘ったのか。
そんな哲学や社会人類学にも似たことを感じるきっかけになったのが、ここコンコードであった。

こちらはミニッツマンという像。英国軍のために1分で駆けつけるくらい熱意のあった戦士だったという。なんだかその辺はあっさりしたネーミングだなと思った。

学生やカップルも少なくなく、気軽に足を運べる公園としても親しまれている。

 

文学の地でもある

僕は読んだことが無いのだが、文学好きにはおすすめの地でもある。
オーチャードハウスという施設があり、アメリカ文学の有名な著者が住んでいた博物館がある。

なかの様子を撮影することもでき、入館料は無料であった。

独立戦争の地でどんなことを感じ、それを文字に起こしたのか、そんなヒントがひょっとしたらあるのかも。
当時の僕は写真を撮ることと人と喋ることに夢中だったので、それどころではなかった。

 

好奇心にかまけて縮尺を誤る

そんな歴史と文学を感じることのできる閑静な街コンコード。

一通り写真を撮り、雰囲気を感じ、満足して帰ることにした。

当時通話可能な電子端末はもっていたが、インターネット(マップ)をオンラインで閲覧できるツールはもっていなかった。
いま考えればなんて恐ろしいことをしていたんだと自分を叱りたくなるが、やっていた。笑

その結果なにが起きたか。

自宅に着くまで8時間歩く。

散歩がてら歩きながらドミトリーに戻ろうと考えていた。

持参した旅行本で幹線道路の位置を把握し、それらをもとに歩けばいいと思っていた。

歩き出して1時間。

全然その道が現れない。

2-3時間が経過しても出てこない。

当時ハロウィーンの前週だったので、いたるところにパンプキン。

もういいよパンプキン。道を…。

もうやけになってくる。ここから戻るといってもかなりの距離。

自分を信じ歩みを進める。

リスに出会う。もうよくわからなくなってくる。

ようやくここで人に出会えた。
すぐに質問した。

「Where is it here?」(ここどこ?)

「●●という場所で、ボストンから20キロくらい離れてるわ」

笑顔でとんでもない事実はしっかり伝えてくれたマダム。
ありがとう。

もうとりあえず歩みを進めた。

そして時刻20時過ぎ。
ようやく自分の知っているエリアに到着。

 

己の計画性のなさを自覚したできごとでもあった。笑

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▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中