自分のストーリーを一心不乱に書き綴りました

ある本を読みながら、
ふと綴りたくなったので綴ります。

自分の今後の目標を言葉にしたくなりました。

 

それを確認するべく、いま一度、自分の幼少期を振返ります。どんな生い立ちがあっていまの活動をしているかを確認したいのです。

 

書きまくって情報をできる限り引き出し、それらを丁寧に整理しないとわかんない、そんな気持ちです。

自分がどんなことをして生きてきたのか、そのストーリーを確認します。

 

完全に構成とか無視して書き綴るので、読みにくいです。ごめんなさい。笑

 

小学校時代

歌手、料理人になりたかった。その理由は明快で、音楽の先生と家庭科の先生にとても褒められたからだった。
そこから象徴されるように、この頃から先生の教えを守る真面目くんだった。大人しく学級委員や生徒会などにも関わる。
クラスでも地味な存在で、普段は友達とテレビゲームをしたり、公園で野球や缶蹴りをして遊ぶ少年だった。
あまりモノを言えるタイプではなく、引っ込み思案な性格があった。いまも少しあるか。

 

中学校時代

ホテルマンになりたかった。これも理由は明快で、推薦入試の志望動機を考える時に、とりあえず書く必要があったから担任と相談して決めた。

いま思うとホテルマン舐めんなと当時の自分に理論的に説明したい。中学時代も真面目でコツコツ派。

この頃は友人と自転車で数十キロ離れた町に旅に出かけたり、山形の奥地にある山寺の川で魚を取ったりバーベキューをして楽しんだ。計画表や持ち物リストをワードで纏めるなど、割と気合の入った遊びだった。

またこの頃から受験勉強もスタート。成績は中の下くらいで、全体のなかでもそこまでいい成績では無かった。でも真面目に課題に取り組むとか、課題は出すとか、その辺は真面目にやっていた。

 

夜遅くまで勉強する影響もあり、深夜ラジオをよく聞くようになった。

オールナイトニッポンや東貴博,南海キャンディーズのラジオは録音するほどのリスナーになっていた。

そこから得られるトーク術や表現方法は今でもよく覚えている。すごく楽しかった。

 

高校時代

友達とテニスをする、料理をつくる、彼女とデートする、ラジオを聞く、漫画を読む、小説を読む、こうしたことが僕は好きだった。

この頃はまだ勉強=受験勉強のために覚えなくちゃ、という感覚がとても強かった。

特に将来なりたいものはなかったけれど、とりあえず卒業後の進路の話になり、経済経営を学べる大学へ進学した。

これも理由は担任と親の勧めだけだった。
僕はそれほどに自分の将来について興味が無かった。

生真面目に学生生活を送り、バイトもせず、貯金も小遣いを貯めた20万くらい。

自分のできる裁量にばかり気をとられ、やりたいことや楽しいことを考える脳が無かった。

大学や稼ぎ方について、学ぼうとしなかった。その好奇心や興味を抱くことは無かった。

 

大学時代

できることの幅がすごく広がった。

ここでようやく、自分は何をしたいのだろう、そんなことを考え始めた。

授業のある日はお弁当を作り大学まで自転車で通学し、料理が好きだからと中華料理店でアルバイトを経験する。

深夜1時まで働くという経験を初めて知った。辛いというよりは眠い、という感覚をよく覚えている。ご飯は食べなきゃと思い食べ始めるも、そのまま座椅子でうたた寝することもよくあった。授業中も眠かったので3か月くらいで辞めた。

 

その後は自分ができること、かつ時間管理がしやすい塾講師として働いた。

最低限のお金を稼ぐかつ自分の時間をつくる、そんなことを表現できずとも体現しているいい例かもしれない。

 

海外での出会いも忘れてはいけないな。
海外出張の多い父の影響もあり、外国への興味関心はあった。

また親の勧めで地元の英語教室にも通い、目に見える成果を得たわけではないが、”英語に対する好奇心”だけは培われていた。

そして大学1年生の頃、留学プログラムに申し込み、ご支援もあり3ヵ月の短期留学を決めた。

全然英語が話せないまま飛び込んだ自分のフットワークの軽さ、これはやはり強みだ。まずはやってみる、これを体現した第一歩だった。

世界が広がった。言葉や容姿の異なる人と食事を共にし、語学を学び、歴史の地を歩く。これがとても面白く、僕にとって楽しさそのものだった。

 

できることなら毎日こうした新鮮さに触れていたい。

分からないことや知らなかったことを学び続けるような生き方をしたい。
そんな風に思った。

 

社会人時代

大学卒業後、会計事務所、一般企業経理財務を務めた。

会計は好きではなかった。ただ大学で学んだ、資格をもっていた、金勘定はどこでも使うだろう。

それくらいの気持ちで就職を決めた。
なにより生きていくためのお金を稼がなきゃいけないからだ。

働いてみてわかったのは、次のような環境で働くのは僕は難しい。

時間の縛りが多いこと、妙な縦社会があること、言いたいことを言いにくい風潮があること(それで既存の組織が迷惑するくらいなら自ら身を引く)。

 

僕は2社しか正社員として経験していない。
もちろん上で挙げたような問題が存在しない企業もあるだろう。

ただ毎朝通勤ラッシュ、無茶な要求によるストレス、雰囲気残業、機嫌を伺いながらの飲み会、こうしたことはやはり無理だ。

 

残念ながら僕はそれに物言いする勇気もなければ、する必要もないと思っている。

なぜなら僕のようなストレスを感じず、残業代を稼げるからとそれに耐えつつ、土日さえ楽しければいいと考える人もいて当然だからだ。

きちんと仕事もこなし、会社の人とも上手いことできている訳だから、その人達に迷惑をかけてはいけない。

だからそっと僕がその組織から抜けるという選択肢をとる。

 

 

ざっと整理しよう

ザーッと感情のまま書き続けてみたわけだが、ここで再度まとめてみる。

最低限の稼ぎを確保しつつ、他の時間はそうした時間に充てたい。
いろんな人と会って、一緒になにかをして、学びながら生きていきたい。
その経過や結果として信頼関係が構築され、また新たな出会いが生まれる。
贅沢な夢だけれど、僕はそんな生き方をしたい。

たぶんこういうことだ。僕が歩んできた生き方や考え方は今までこうだ。

人と関わるなかでこの考え方を否定する人もいるだろう。

目的が曖昧だ、そんな考え方では食っていけない、周りを考えろ。

正論や事実を主張され、返答に困る場面もあるかもしれない。

ただそれでも僕はこの考え方を曲げない。

なぜならこれは”できる”か”できない”という話ではなく、”やる”か”やらない”の二択を選ぶ作業だからだ。

 

とりあえずやり始めればいい。
人生において100%上手くいく方法なんてないのだから。躓いたときには都度修正し、同じ失敗をしないように工夫しながら生きればいい。

 

それよりも自分が思い描く生き方があるのなら、絶対にやった方がいい。

その選択や直感こそ自分にしか導き出せない答えであり、人生を充実させる方法のひとつだと僕は思う。

 

それに反対意見を仮に受け入れ、自分が苦しくなったときに、誰も責任を取ってくれない。ああ、ああしておけばよかった、と思ったところで遅い。実行しなかった、決めきれなかった、そんな自分を責めるしかない。

一心不乱に書き綴ったわけだが、僕の考えはやはりこうだ。

生きていくための最低限の稼ぎを獲得しつつ、
いろんな人との出会いを今後も費えないようにする。
人との出会いを通して分からないことや知らなかったことを学びつつけ、
その人達との信頼関係がまた新たな出会いを生み出す。
自分が幸せになることを忘れない。
その結果として周りの人も幸せを感じてくれたらなお嬉しい

僕はこれくらいの気持ちでいま生きてます。

これを毎日読み返すことにしよう。

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ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中