失敗に手厳しい 日本社会あれこれ

失敗に手厳しい 日本社会あれこれ

 

人生100年時代なんて言われています。

100年とはいかずとも70,80歳まで生きてしまうことができる。
そんな医療技術の進歩が伺える昨今です。

そうなるとどんな風に過ごしたいかと考えてしまいます。
夢とか目標とか。人生設計みたいなものです。

みなさん目標や夢はお持ちですか。
結婚したい、お金を稼ぎたい、安定した生活を送りたい。
まあ一種のチャレンジみたいなものです。

目標の形はいろいろあると思いますが、同時に切り離せない課題が生まれます。

それは失敗した時にどうするのかという課題です。
上手くいかなかったときの保証はどうするのかということです。

日本社会で数年しか働いていない僕ですが、社会の働き方に対する辛辣さや難しさは断片的に理解しています。
また僕自身もそうしたチャレンジに意欲をもつ人間のひとりです。

なんとなくモヤモヤしていることを今回は書き綴ろうかなと思います。

 

ビジネスをするということ

僕の地元に何度もお店が変わるテナントがありました。
初めはラーメン屋、次に中華、最後は韓国料理店。
最後にみたときは空テナントになってしまっていました。

ビジネスというのは基本的に採算がとれる条件のもと始めるものとされています。
これでも僕は会計事務所と一般企業の財務を担当していたものですから、その辺りには理解があります。

なんども予実管理(予定と実績をすり合わせた管理表)を見直し、実態に迫るべく打合せを行い、意思決定を繰り返す。

どんな組織でもこのアプローチを怠ることはありません。程度はあれど間違いなくこの工程を挟みます。

なぜならそれが経営をするうえで大切な分析であり、利益を生むためのチェック作業だからです。

しかしそれでも上手くいかないケースがあります。というかむしろ中小企業の数だけでいえば3年以内にほとんどの企業が倒産しています。

理由は様々あれどそれだけ軌道に乗ることができないケースが多いのです。

さて問題はこの後です。
軌道に乗らず借入金返済もままならない。さてどうしようか。

①もう一度課題を分析して取り組み直そう

②今度は安定した職について平穏に暮らそう

③別のなにかにトライしてみよう

どれかに進むでしょう。もちろん第4の進路もアリです。

僕がここで課題として提示するのは、一度躓いてしまうと日本社会の場合どれも手詰まりになるという現実です。

 

失敗が許容されにくい日本社会

ヨーロッパやアメリカの起業数は日本の比にならないほど多いです。
これは制度的なバックアップがあるためです。同時にそうした制度が許容される国民の意識や文化が背景にあります。

 

日本は規律を守り、雰囲気に管理されている社会であるといえます。
出勤時刻を1分超過するだけでも減給、皆がやっているからやりましょうという同調、生産性よりも調和を正とする風潮。

どれもこれまでの日本社会を支えてきた要素であり、またそれに適応している人も確かです。一方で先述したような生き方を目指している人にとっては障壁となります。

例えば…

①失敗した原因を分析して事業計画を再度提出してください
(そもそも門前払いの可能性大、再融資はとても難しいです)

②これまで何をしてたのですか。起業ですか…(冷たい目)

③歳をとるにつれて保証が無いことに不安を覚える

ここでお伝えしたいのは社会的サポートはありませんよということです。

ご自身の熱量や想いは代え難いエネルギー源に変わりありません。
サポートしてくれる仲間や友人も少なくないでしょう。

ただ一方で日本社会がとても閉鎖的なマインドであることは間違いありません。
現代の就活風景、低賃金に対する不満の声、税金の使途不明金の多さ。いろんな社会の声からそれを察することができます。

 

ビシネスを始めたい vs 残り1年我慢する

少し個人的な話をします。

僕は大学時代は経営学を学び会計学を専攻しておりました。
組織構造や財務会計・管理会計を学びまして。

次第に自分で経営をするということが難しくも面白そうだなと感じるようになり、4年の頃には起業に関する書籍をよく読み漁っていました。

一方で国際協力や海外で住むという目標も別にありました。
青年海外協力隊への応募も何度も考えておりました。

その後4年ほど社会人経験を積みどうしようかと考えた結果、今回の参加に至ったわけです。

いまの生活に慣れ過ぎてしまった、飽きてしまった。
そんな感情があるのも事実です。

一方で生き急いでいる感じがするのもまた然り。

今回のご縁を大切に生きればそれでいいんじゃないか。
お店を経営するという目標はあと1年後でもいいんじゃないか。
そういうお声も頂きまして悩んでおります。

どちらも自身が成しえたいことなので天秤で計っている時点でそもそも土俵が違うじゃんという話なのですが。

 

行動してもよい 後援は期待しないこと

結局のところ自分が納得のいく選択さえできればそれでよいのかなと。

ただそこに社会的なバックアップはなく、あったとしても自分の想いを勝手に馳せてはいけないよ、ということですね。
自分の価値観と判断で決めた道であればなおさら。

そのなにか足りなくなった部分を他人に要求するのは無茶です。筋が通りません。

そうした決意がある人は進んでも何とか乗り切ることができるのかなと思うのでした。

ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中