時間に対する価値観の相違

  1. 時間に対する価値観

はじめに

本文に入る前にあらすじを

1月2日は仕事初め。ケニアではほとんどの会社が2日から仕事を始める

クリスマス前の23日頃~1月1日まで休みなので、その分走り出しは日本より早い様子。

いつもと変わらず定刻より早めに事務所へ到着したが、同僚は誰もいない。

 

これはいまに始まった話ではない。

そしてこのテーマは一度記事にまとめながら、整理した方がいいと思っていたので今回書き綴ることにした。

日本の価値観では理解できないことが幾つも起きる。良ければご覧ください。

 

 

日本の場合

暗黙知化される時間と集団文化

僕は日本の厳格な時間文化の中で育ってきた。そして厳格という表現は過大ではないと思う。

小学校6年間/中学校3年間/高校3年間

この12年間で培われた時間や協働することへの価値観は、他国と比較してみると異常なほど厳格に教育される。

教員によって生徒ひとり1人が指導されるのであればそういった価値観は根付かない。この価値観をクラス、学年、学校全体で共有するから意味を成す。

 

そうやって暗黙知化された時間や集団との関わり方を僕らは学んできた。

周りと共存するには自分がそれを受け入れる必要がある。そうしなければ自分の居場所が無いと感じてしまうから。

 

もちろん物事に落としどころみたいなモノを見つける術を身に付ければ話しは変わってくる。

だがそれまでは全力で周りに合わせるか、不適合に陥ってしまうかの二択になるかなと。

限られた環境しか知らず、別の選択肢を見出すことができないのならば、それが常識や価値観になってくるのは自然なこと。

僕らはそうした時間厳守,集団行動を無意識の頃からこなし、価値観として染み付いている。

 

 

学生時代と社会人

僕は割と早めに到着してゆっくり準備を整えて定刻を迎えるタイプだった。

早めにその場所へ行き、事前準備や心境を整えた上で物事に取り組む性格がある。

・教科書や筆記用具や宿題が全部そろっているか確認
・灯油ストーブの前で友達同士で雑談
・職場の先輩と日常や仕事について雑談や確認

いま思えば時間の効率化やら社内のあれこれやら、早めに行くことの良し悪しはその状況によって変えた方がよかったと思う。笑

 

とはいえクラスや組織の集合体として行動する上で連携は欠かせない。そうした意味で、時間を守ることの大切さは理解していた。担当教員にも恵まれてきたと僕は思っている。

とにかく時間に対しては割りとしっかりしている自覚がある。

 

 

ケニアの場合

仕事始め

長くなってしまった。

こんなに長々と前置きを書いたのは、ウチの職員がこの価値観とどれだけかけ離れているかを強調するためである。

 

「ミスター鈴木!次の出勤は1月2日だからね!ではまた。」

 

ボスのMr.James Matikaはそう言い残して2018年を締めくくった。

さて本日はその仕事始めの日。
いつものように8:45am頃に事務所へ到着。

当然ながら誰もいない。

ここでいう当然というのは、定刻の9:00になっていないから当然いない、という意味ではない。

同僚が定刻通りに出勤した試しが過去に1度も無いのである。故に当然なのである。

 

待つこと2時間。

お客さんも来ているが一緒に待つ。
ボスが出勤。

 

「Mwaka mpya! Happy new year!!Mr.SUZUKI!」

 

挨拶を早々に済ませ事務所のカギを開けてもらう。その後遠回しに遅刻の件について聞いてみた。

僕「時間になっても来ないから仕事始め明日かと思ったよー。」

ボス「いやいや、今日からで合ってるよ。まあみんな遅刻するからね。」

僕「ねえ、その遅刻するってどうして?なにか理由あるのかな。」

ボス「みんな疲れてるからね。仕事したくないもの。

 

 

Polepoleという文化

やはり価値観や文化が異なるとこうなる。

日本では基本的に否定されるような時間に対する概念も、ここケニアでは当然のものとして受け入れられている。

仕事よりも各々の身体や心情を優先する。その後続けて聞いたところ、学校の遅刻も当たり前にあるという。

 

ここにはPolepoleという言葉が存在する。
スワヒリ語でゆっくりゆっくりという意味だ。

慌ただしいこと、不可抗力な出来事、その他なんでもpolepoleの一言でみんな完結する。笑

何十年も積み重ねて培われた価値観。
変えようというのは甚だ難しい話。

 

 

とりあえず現状維持でいい

正直これはこれでいいと思う。

コミュニティとしてこの文化や価値観を共有しているのならば、それ以上でも以下でも無い。

この価値観について不満を抱いている人物に会ったことが無いのだ。

強いて言えば僕くらいか。笑
僕も不満というか慣れていないだけであって、それでいいならいいんだ。

 

学術的にはコミュニティづくりで大切な要素はいっぱいある。学問として歴史の浅い分野なので進行形で展開され続けているから。

 

ただ多くの関係者が挙げている中に「共通意志」という要素がある。

組織に属するにあたって、皆と共通の認識,価値観,意志が存在しなければ組織として存続しえないという概念である。

簡単に言えばみんな同じ方向を向いて、情報を共有しておかないと、組織やコミュニティとして駄目になるよということ。

 

逆に言えばこれが整っていれば、現状がどうあれ維持できるということ。

僕の任地の住民や事務所同僚はこのバランスがとれている。先述したように、誰も不満を持っている人を今のところ見たことがない。時間通りに働かないことをみんなで共有できている。

とすればもうこのままでいいんじゃないかな。笑

 

 

あえて予見するとすれば

このままで当面はいいと思う。

ただあえてこの先を予見して言及するとすれば、労働環境の変化異文化の強制的輸入への対策が必要だと思う。

 

具体例を挙げてみよう。

ケニアはここ10年で劇的に経済成長を遂げたのだが、中国からの資本流入、技術支援、インフラ整備などがあったから成し遂げることができた。

 

同時に強制的な中国文化の輸入により本来あった文化が崩れている問題がある。

現ナイロビ駅は改築により大変綺麗で近代的な風貌になったが、その際に監督者であった中国人により厳格な時間厳守の価値観や、長時間労働、鞭による体罰などが横行していた。そうBBCやCNNの報道機関が報道している。

 

政府間による契約や条約の効力に対して、現場の人間がなせることは限られている。

もし今後ケニア政府がいまの文化や価値観を壊しうる動きをとることがあれば、その時こそ人々は声をあげ反意を示すことになると考える。

少なくともその兆候や動きは既に見えているように僕は感じる。

 

 

炭酸飲料の権威

最後にここルアンダでの炭酸飲料の権威について紹介したい。笑

結局11時-15時までしか仕事しなかった。
それでもボスは満足気な表情でオフィスに鍵をかけ事務所を閉める。

「いやー、今日も仕事多かったな。ほら、ソーダ飲め飲め!」

仕事終わりの一杯。疲労感というか炎天下の身体に染み渡るファンタ。実はこの炭酸飲料、ここルアンダで優れた地位を獲得している。

 

僕をみてお金を要求してくる子供や大人は少なくない。しかしお金以上に「Nipe soda balidi」(冷えた炭酸飲料よこせ)とふっかけてくる人の方が圧倒的に多い。笑

道を聞くとき、八百屋へ行くとき、そして子供たちと握手するとき。二言目にはだいたい炭酸飲料を要求される。

 

もうきっと店頭に行くのも面倒なんだろうな。笑

ちなみにみんな挨拶程度のつもりでふっかけてるくる。真に受けてその都度返事をする必要もないので、慣れてくればスルーする能力も自然と身に付く。笑

 

今後も炭酸飲料は人々にとって重要な地位を占めることは必至だ。

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ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中