主観を取り除いてモノをみる

主観を取り除いてモノをみる

どんなタイトルで纏めるか15分くらい悩んでしまった。

行動しながら考える性格なのですが、それにしてもかかりすぎた。

表題の意味は後述するとして。

 

 

さて本日も我が事務所は…

我が農業事務所は今日も営業日。
ケニアは2日から仕事初めが一般的なのです。

昨日帰り際、ボスから伝えられたメッセージはこうだった。

 

『明日は農家の畑に行くよ!』
『事務所から遠い所にある農園だから7時に事務所で待っててくれ』

 

嫌な予感しかしない。
ほぼ、ほぼ確実に、99%、予定通りに来るとは思えない。

でも前もって農園の情報や距離が遠いことを伝えてくれているということは、
少なくとも悪意があるわけではない。

 

僕は7時前に事務所へ向かった。
残る1%の可能性にかけてみた。

 

 

 

 

来なかった。
3時間弱来なかった。

 

~余談~
立て続けに理解しがたいことが起きる。
事務所近隣に住む地元民がなぜか朝から鉈で木を伐っていた。

鈴木「Bwana, sasa kwani unakata mti kama hibyo?」(ねー、何で木を伐ってるのー?)

男性「ee…yea, happy new year! Mwaka mpya Suzukiー!」(えーっと…あぁ、あけましておめでとう!あけおめ!すずきー!)

答えになってない。笑
部族の方なのでスワヒリ語とキニョレ語(現地語)しか話せず、リスニング不足もともなってそれ以上の情報は聞き取れなかった…。

 

 

異文化の地で活動して思うこと

兎角して昨日に引き続き出勤が遅れるボスや同僚。

一見なんだよと思える出来事だけれど、昨日投稿した通り。

過去記事→時間に対する価値観の相違

この価値観は確立されていることが分かったので言及するのはもう止めよう。

 

ただ今日はもう少し踏み込んで理解を深めていた。3時間も考える時間があったから。笑

今回は主観を取り除いてモノをみる必要性を、歴史的背景といまの体験談を交えながら考えてみた。

歴史が嫌いな人飛ばして読んで構いません。笑

 

 

キリシタン宣教と豊臣秀吉

日本が外国から幾度となく歩み寄られた中で、もっとも印象に残っているのがこの時代の出来事。

中学生の頃にPS2の戦国無双や鬼武者シリーズをやり込んだおかげで、戦国時代のフローや登場人物に興味を持って日本史を勉強することができた。

そんな余談は置いておいて。

 

徳川幕府の江戸時代が始まる前、ポルトガルからキリスト教の宣教師たちが日本に渡ってきた。

自国の宗教を広め、文化と価値観を共有し、後に占領下に置こうとした意図があったとされる記述も残っている。

その辺の詳しい話も今回は置いておいて。

 

注目したいのは渡航してきたキリシタン大名の心境と、受け入れる日本側の心境

【キリシタン側】…植民地化政策(じっくりキリスト教を浸透させていくぞ)

諸説あるので真意は言及したくはないが、多くの文献によるとキリシタン大名の最終的な目的は植民地化であったとされている。

バスコダガマを始めとする探検家が海へ繰り出しはじめ、紅茶や砂糖といった高級品を手に入れたことから、日本にもそうした流行がやってきたとされている。

 

【幕府側】…バテレン追放令(普及させるものか)

豊臣秀吉が発布したこの令でキリスト教の禁止を国民は知ることになる。植民地化や侵略されることを恐れた幕府側はすぐに対策を打って出た。

と言っても正直国民の実感は無かったと思うが。キリスト教は危険だと布教することで日本に土着化するのを防ぐ狙いだったと思うけれど、ふーん、くらいにしか感じていないと個人的には思う。笑

 

つまりそれぞれの思惑は国益統治のためによるものだったように読み取れる。

各々の利害を擦り合わせたりすることなく、一方的な歩み寄り方のように僕は感じる。

 

自分たちのためー! 国民を管理するためー! 王族,国王に褒めてもらうためー!みたいな。笑

もちろん時代がまっっっったく違うので比較することが前提として違うことも分かっている。

 

 

 

JICAと受入国

次にこの対立構図で考える。

ただ誤認させないために先に言及しておくと、僕が主張したいことは政治的要素を助長させたり、批判することではない。

 

「どれだけ異文化を知ることができているか」

これを整理するためにこの対立例を使う。

【JICA側】…青少年育成プログラム&各国との信頼関係づくり

少し美化しすぎたけれど許容範囲内だろう。笑

現在僕はJICAの協力隊員としてケニアの人々とともに生活を送っている。日本政府とケニア政府の契約のもと、割とオープンな状態で派遣されている。

ここでいうオープンというのは

自分が何者で、
どんな目的があって、
あなたたちにこんなことができますよ

ということが割とわかりやすく説明がなされているということ。

・コミュニティ開発でやってきた(まぁ抽象的だけど…)
・2年という期限付き活動
・金銭は一切要求しない
・長い歴史のある組織である

派遣したJICA側と現場で活動する僕らの価値観の乖離はまあ各々考えるとして、

 

今回の投稿で一番注目したのは、次の受入国側の認識。

 

【受入国】…○○○???

協力隊員や国際協力に漠然と目標を掲げる人は陥ったことのある問題だと思う。

彼らはなにを求めているのか→正しいことなのか→持続性はあるのか→いやもうよく分かんないや。笑

明確な要請内容があるように感じるとしても、意外と現場に来てみると乖離しているなんてことはよくある話。

環境や活動地域によってそれぞれ異なる問題だから、解決モデルは千差万別。

だからこそ任地で生活し、字面では知りえない情報を対面で吸収することには大きな意味がある。

 

 

 

最終的に伝えたいことはなに?

そんなに本気じゃない

僕の事務所やここルアンダの人々を見ていて、そんなに本気で何かを求めている訳じゃないなと感じる。

 

言い換えると、既に満たされる空間や楽しみがあって、自分のコミュニティやライフスタイルがおおよそ確立されているということ。

家族とご飯を食べる時間
木陰でお昼寝する時間
深夜までハレルヤを歌い踊り楽しむ時間(うるさいけど笑)

彼らは自分たちの欲求の満たし方や楽しみ方を、知ってか知らずか体現している。

だから意識せずとも心身の余裕も保ちながら働いている。バランスよく生活することができている。

異文化てある僕を受け入れつつも、自分達のコミュニティや働き方をそこまで変えようとする本気度は言葉からも態度からも感じない。これはこれでいい。

 

 

思ってる3倍くらい肩の力を抜こう

一方で僕ら協力隊員や支援側はその辺の読み取りや背景を、先入観や個人の思い入れで誤認する場合がよくあると思う。

勤勉さ、過程評価、集団行動による比較、
日本の義務教育で培われてきた価値観もよりそれを助長させてハマるような気がする。

 

でもどれも過大評価だったりすることもある。本当に目を凝らして現場を見てみると、割とみんなそんなに本気じゃないことも少なくない。

 

逆に本気で取り組もうとする商人や農家は既に行動している。出店の立地を考え、原価を考え、どうやったら儲けが出るかを実践している。

仮にそうした人々から要求があって、自分の技量の無さに悲観したとしても、その後少しずつ改善していけばいい。2年でまとまらないのであれば後任を申請する手段をとればいい。

 

陥りがちな独りよがりにならないように、
自分が置いたマイルストーンをよーく考えて書いてみると良いのかもしれない。

 

自身の心身ケアが最優先であることを多くの人に共有できたらなと思う。

心身の健康あっての活動だもん。

 

 

情報や気持ちを整理する時間

このブログもそうした見直す機会を意識的につくる良いツールだということ。

多くの人へ情報を発信し、自由に色んな事を感じてもらうのも目的だけれど、人に伝えるにあたって自分がいまどんな活動をしているのか伝える必要がある。

この文章も書きながら編集して、ちょっと戻ってと時間が少しかかっている。笑

だけれどそうすることで日々の活動記録や心情がより明確になる。

お世話になっている人が言ってたけれど、特にこうした成果の見えにくいものほどしっかり記録に残した方が分析しやすい。

心配性で事前準備や振返りを欠かさない性格なので、今後もこうした活動は続けると思います。笑

今後も肩肘張りすぎず、ゆっくりマイペースで進めていこう。

2 件のコメント

  • この前の時間の価値観の記事を読んだ時も思いましたが、ポレポレは僕には無理そうですね笑
    割と物事はタイムスケジュールを組んで、確実にこなしたいタイプだし時間は有限なので守りたい派なんですよね。だからって批判的にはなりませんが、ブログ読んでて面白い違いだなって思います。
    こうして読んでいると自分自身に余裕が無いのかなって思ってしまいます。きっとそれはその通りなのかもしれないけれどその通りでは無いのかもしれませんね。一括りに「性格」「文化的価値観の違い」と言ってしまうと簡単に片付いてしまいますが・・・。
    近年日本では息苦しい現状が続いている最中、ケニアではゆとりで溢れてるのでしょうね。発展を目指していく日本、現状維持のケニア。そこで生まれる心の余裕みたいなものが見受けられます。
    後者の方が圧倒的に生活が豊かであって自然にも優しい気がします。世界で一番貧しい大統領と呼ばれていたウルグアイのムヒカ元大統領のスピーチを思いだしました。

    P,S, ケニアにいて今年は帰ってこないであろう人に「今年もよろしく」と言われて会えないのに今年もよろしく宜しくって言われるのなんか違和感を覚えました笑
    ラインなどなどで宜しくですね。

    • こう、一時的に無関心にならないとやってられない節はいくつもあります。笑 初め僕もこうした彼らの行動や考え方に『怒りや苛立ち』を覚えていたのですが、その後その原因を言葉に起こしてよく分析してみたんですよね。

      そしたら彼らひとり一人価値観が明確あって、それを村人達で共有して、小さな文化みたいなものができているなと気付いたんですよね。まさに書いてくれたように、心と身体の豊かさに繋がってると思います。

      そしておおさわくんは、たぶん写真を通してこうした価値観やモノの本質を見てきたんだろうなと写真教わり初めた頃から感じてました。好きなことでそうした教養を広げてる人と繋がれて嬉しいです。

      最後の追伸でちょっと突き放す感じ好きです。笑 いいですね、徐々にいじってくれるようになって嬉しいですよ。上半期中にサファリも計画中なので、動物や野鳥撮影の記事も少し読み始めてます。同時にあれこれ手出してますが、今年も写真撮る量こなします。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    ▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中