誕生日 歳とるごとに意味合い変わる

こんばんは、鈴木です。
久しぶりの記事投稿ですね。

7月上旬から旅行と調査が続いております。結果なかなか記事の投稿が難しく。まあ言い訳ですが。。。

今週も任地で栄養調査を実施しているところです。活動の様子はまた後日。

 

誕生日を28回迎えて

本日7月24日は僕の誕生日です。お祝いのメッセージを下さった皆さんありがとうございます。

本当に一人ひとりの言葉が嬉しいです。

さて、誕生日を迎えて28回目。歳をとるにつれてその意味合いが何だか変わってきました。

幼少期-小学生時代はかなりの一大イベント。例えばプレゼントを買ってもらえる、友達とパーティーができる、ケーキが食べれる。挙げれば切りがありません。笑

表現するならば、単純に欲求を満たしてもらえる日、といった感じでしょうか。その日が来るのをワクワクして待っていました。

 

中学,高校生時代になると物欲は少しずつ無くなっていきます。徐々に承認欲求や物的でないものを欲しがりませんか。

例えばあの人に告白したい、花火大会、雪まつりに行きたい。その日に気になる人から、大切なあの友人から、メッセージが欲しい。誕生日という日をきっかけに、何かできないかなと。少なくとも鈴木はそんなことを考えていましたよ。笑

 

大学時代はある程度固まったメンバーと一緒に過ごしたい。この辺からあまり限定的な欲求を求めないようになった気がします。

言い換えれば、”それらに近しいもの”がいつでも手に入るようになったのかもしれません。

友人も増え、人との付き合い方も学び、お金も稼ぐことができ、親の承諾も必要ない。今まで意味を添えてきた誕生日でなくても、それができるようになったのかなと。

 

社会人時代もそんな感じです。
仕事も忙しく、基本的に社内の人としか会わず、閉鎖的な空間に。誕生日だから●●という意味合いはほとんど無くなりました。

 

ただ28回目の誕生日を迎えて一つ気付いたことがありまして。それは家族の存在です。

僕の家族、知っている限りの情報で比較するとかなり仲がいい方です。

姉と弟もいるのですが、普通に話せるし、恋愛話もします。割とオープンです。

そんな家族からのお誕生日メッセージ。両親からは毎年、兄弟からも社会人の頃から定期的に届きます。

 

これってすごく素敵なことだなと、自分事ながら思います。

歳をとるにつれて経験が積まれ、自我が固まり、自分の価値観が完成します。

そうすると、相いれない存在を意識するようになります。それは家族の間柄でも例外ではありません。実際に家族崩壊,絶交するケースもありますよね。

それに家族同士って少し恥ずかしい部分ありませんか。色恋話、本音を面と向かって言いにくい、気を遣う、などなど。もちろん家族環境に依りますが。笑

 

すいません。長くなってますね。

 

つまり何が言いたいかというと、誕生日というのは歳をとるごとにその意味合いが変わるものだなと。

きっと来年の誕生日もまた違う色合いになるでしょうね。まだケニアにいますし。

長くなりました。
ともあれ28歳になりました。
まだまだ20代を全力で楽しみます。

ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中