農耕は空腹を満たすためにあり、農業は利益を獲得するためにある

おはようございます。

昨日はマーケットへ行き市場調査をしてきました。

4時間も話し続けたのでへとへとです。

 

ただとても有意義な情報収集となりました。やはり対面で話すことで気付くことが数多くあります。

2月はこれを可能な限り続けます。
気合いの見せどころです。

※今回もコラム風に仕上げました。

 

 

 

農耕は空腹を満たすためにあり、農業は利益を獲得するためにある

 

僕は農業を通してコミュニティ開発を行っている。

どんな国でも当たりまえに存在する「農業」という生業だが、現在その在り方が世界中で大きく変わっている。

そしてどの国も例外なく、その波に巻き込まれているように感じる。

 

こうした背景からひとつ言えることは、いまの「農業」という言葉は安易に使われ過ぎているということだ。

この意味をよく考えなければ、良くない方向に流されてしまうと僕は感じている。

 

 

農業の起源と歴史

農業(正確には農耕だが、後の章で記載することにする)が始まったのは縄文時代や弥生時代にはすでに確立されている文献が残っている。

 

奈良時代には公地公民制が始まった。法律に基づいて、国民を戸籍と帳簿にリストアップし、公地を与える。

租・庸・調と呼ばれる、いまでいう税金労働義務も制定された。

政治介入が始まったのは約1200年前ということになる。

 

 

鎌倉時代に入ると政府がより組織化され、農家の階層構造もできている。

守護と地頭と呼ばれる役所をおき、武士はこれまで以上に農家からの年貢を徴収するようになる。

 

 

戦国時代は武将たちによる国盗り合戦が各地で展開される。

農家もその波に流されるなか、自身の村を農民の力で守ろうとする「惣村(そうそん)」という自治組織ができた。

 

 

 

江戸時代では人口の8割弱が農民を占めていた。初期は自治組織もより整いだした矢先、大飢饉に見舞われ農作物は大きな損害を受ける。

これにより保身を図った幕府の計略により、食べる物や栽培作物が制限されることとなる。

中期・後期になるとさらなる飢饉が襲い、高利貸や米屋にを襲う米騒動なども勃発した。

 

明治時代は欧米技術の流入により、農事試験場などが多く開発され、種子、苗、化学肥料、農機具などが入ってきた。

 

 

大正から戦前の昭和のころになると農業従事者が減少する。

第一次世界大戦の好景気により、銃機器を開発する工業に生業がシフトしたからだ。

またこの頃から不足する農村や農家を支援するべく、海外へ移民させる動きが出てきた。

 

 

敗戦後の昭和は深刻な食糧不足、インフレによる情勢下、GHQ指令のもので農地改革が始まった。

ここで政府介入の大きかった土地管理が解放し、農地解放令が発布される。

管理していた土地の多くが農家に売り渡された。

その後機械化と農業研究の成果で収穫高が飛躍的に増加。

 

そして現在。

平成は科学技術の進歩により労働の省力化が進む一方で、ビニールハウスの石油製品問題、農薬や除草剤使用が問題視されている。

また担い手不足を解消するべく、科学技術を応用した野菜栽培も近年注目されている。

 

 

農業の定義

【 農業 のうぎょう agriculture 】

土地を利用して有能な動植物を育成し、生産物を得る活動を指す。

(1)土地に左右されること。立地条件などが大きく左右する。

(2)自然条件の制約。このような障害は、農業技術の格段の進歩をもってしても容易には解決できないもので、これが所得における農工アンバランスを生み出す大きな要因となっている。

(3)労働集約的産業であること。アメリカ式の大農経営と比較すれば、日本農業は単位面積あたり生産量では凌いでいるものの、一人当たりの生産性は低く、生産コストが高いことが問題となっている。

(4)生産➟加工➟市場➟流通という食料システムに工業介入が強まり、施設園芸や餌加農業も相まって、本来の生態系農業が影をひそめている。

<コトバンク/ブリタニカ国際百科事典より引用>

 

 

自ら土地を耕し、種をまき、天気に左右されながら、何とか実りを得て、そして収穫する。

そしてそれは生産者にとって、本来は至福の瞬間であるように感じる。

 

 

 

みんなでおにぎりを頬張った秋の収穫祭

僕が小学5年生のころ、近所の農家さんの水田で田植えの授業があった。

 

足を泥にとられながら、一つずつ一生懸命に苗を植えていく。

少しいびつだけれどやりきった達成感があった。

 

そして収穫の秋。

自分たちで植えた稲を刈り、脱穀し、炊いた白米で作ったおにぎり。

そのおにぎりを近所のご年配の方々と一緒にたべた。
学校の体育館へ招待し、秋の収穫をみんなでお祝いしたことをよく覚えている。

自身でつくったお米、それをみんなで分け合い食べる。恵みに感謝する。

 

歴史をみてもそうあるように、本来は自身の食料として、そして支え合いながら食し生きていく「目的」として農業は存在していた。

 

 

農業とはなにを生業にすることなのか

いま世間一般で使われている農業というのは”つくって””売って””利益を出す”ことである。

本来の意味と異なっているというのは、このことを指している。

 

自分たちの”食料確保のための農業”は今なおある。

無農薬野菜を食べるためにつくる、自給自足のためにつくる。

そうした農家も存在するが、それはごく僅かな割合だ。

 

 

ほとんどの農家はつくるだけでなく、売って利益を出すというビジネスをしている。

栽培するという作業に加えて商売もやっているのである。

日本は高度経済成長期、工業製品や諸外国からの金銭的・技術的支援もあり復興した。

ここで”商売”、つまり利益を獲得する術を学んだのだ。

 

 

農耕から農業に変えることの難しさ

つまり食料を確保し共存するために栽培するのは、もはや農業ではない。

農耕である。

自分たちの胃袋を満たし、その一年の収穫に感謝し、コミュニティでそれを共有するのだ。

 

しかし農業は違う。

育て、売り、利益を出す。

マーケティングや会計管理や取引先確保。

農業とは無縁の商業知識が必要になる。

 

現代ではこれを同じように扱ってしまっているが、両者は明らかに違う。

目的がまったく異なるし、”食べるため”、”稼ぐため”、というそれぞれの価値観に焦点をあてると関連性はまったく無い。

 

 

僕の活動任地はどうだろうか

そして僕はいまこれをやろうとしているのだ。

配属先もそのつもりだ。

 

しかしまず考えるべきは、農家達はどう思っているのかを徹底的に分析することである。

それはいまの状態でビジネスを展開できるとは思えないからだ。

小学三年生に1ヵ月間ほど駄菓子屋の店番をまかせ、月末に帳簿残高を合わせろというくらい難しい作業ともいえる。

 

経営管理、マーケティング、会計管理、そして本来の農業。

これらをバランスよく処理するのは簡単ではない。

 

 

僕のプロジェクト企画期限まで3ヵ月ほど残っている。

政府や大企業が実施しているプロジェクトと比較すれば気付くだろうが、考案する期間はとても短い。

 

その限られた期間のなかでできる限りの準備をする。

なにが必要で、どんな価値観をもっているのか。

どんな商売をしていて、どんな暮らしをしているのか。

どんな家族があり、どんなコミュニティがそこにあるのか。

 

そうした地元に馴染める強みを存分に生かしつつ、できることを見出したい。

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ABOUTこの記事をかいた人

▷山形県天童市出身▶︎青年海外協力隊員 ▷jocv 2018-2 コミュニティ開発(農作物栽培×地域活性化) ▶︎大学卒業後→経理財務→焼肉屋→現在▷心地よい生活を求めライフスタイル探求中▶︎料理とお菓子作り好き▷色んなものを疑いながら日々生活中